片袖に想いたくし生涯独身
3日から始まった大河ドラマ「龍馬伝」。その登場人物の一人が、千住に住んでいたことを、ご存知だろうか。彼女の名は千葉さな子(佐那)。今回のドラマのヒロインの一人で、龍馬の許婚だったと伝えられている。
千葉さな子が世に知られるようになったのは、司馬遼太郎の随筆「千葉の灸」による。剣客だった千葉周作の弟・定吉の娘で、色白の美人で剣術も強く、「鬼小町」と呼ばれていたという。
定吉が京橋・桶町に構えていた道場で、坂本龍馬は塾頭を務めていた。さな子は恋心を打ち明けたが、すでに妻おりょうがいた龍馬は遠まわしに断り、着ていた着物の袖を渡して江戸を発ったという。
さな子はその片袖を大切にし、生涯独身だったといわれている。ただ、2人の関係については諸説あり、龍馬が実家に宛てた手紙に
「さな子を好いてることが綴られていた」、「許婚の約束を交わしていた」などの話もある。
明治29年10月、59歳で病死。台東区谷中の墓地に葬られ無縁仏になるところだったが、懇意にしていた自由民権運動家・小田切謙明の妻・豊次が、分骨して小田切家菩提寺の甲府清運寺に埋葬。墓碑には「龍馬室」(室=妻)と刻まれている。
◆千住の灸
そのさな子が移り住み生涯を終えたのが、千住仲町1番地(旧中組993)。国道4号と墨堤通りが交わる角にあり、今は小さな駐車場になっている。
千葉家には家伝の灸があり、維新後、剣術がすたれてからはこの地に根を下ろして、灸治療を生業にしていた。さな子も施術を行い、板垣退助も治療を受けたという。
養子を取り、千葉の灸は次の代へと受け継がれ、戦前までこの場所で開院していた。戦災や区画整理で100mほど離れた千住仲町29番地に移ったが、なんと平成12年に5代目・晃さんの妻まつさんが亡くなるまで続いた。
今は29番地の家も残っていない。
◆「家に槍があった」
さな子が移り住んだ1番地に家があった頃の様子を、覚えている人がいる。墨堤通りから旧日光街道に入ったところにある長谷川金物店のご主人・長谷川浩平さん(74)。 4号の向こうにある千寿小学校に通うのに、毎朝「千葉灸治院」の前を通ったという。「当時は墨堤通りの土手が高かったから、千葉の平屋の屋根瓦が見えた」。
墨堤通りは江戸時代初め、石出掃部介吉胤(いしでかもんのすけよしたね)が水害から守るために作った掃部堤で、以前は高い土手だった。今でも源長寺横の路地には石段があり、高低差が残る。
「石段を降りて玄関の中を見ると、槍が2~3本かけてあった。記憶違いかも知れないが。『槍だ、こわいな』なんて言っていた覚えがある」と長谷川さん。中学時代には、まつさんの長男で1歳上の千葉弘さんと、よく野球をして遊んだという。長谷川家はみんな丈夫で、残念ながら(?)千葉灸の世話になったことはないそうだ。
ドラマでは貫地谷しほりさんが演じる「佐那」。その人生が現代の千住に繋がっていたと思うと、また違った楽しみ方ができるに違いない。
〈参考資料〉「足立史談」24号(丸山宏著「千住仲町二十九番地」)他
写真上=戦前まで仲町1番地にあった千葉灸治院
写真中=看板
写真下=さな子が住んでいた場所、奥は4号線
3日から始まった大河ドラマ「龍馬伝」。その登場人物の一人が、千住に住んでいたことを、ご存知だろうか。彼女の名は千葉さな子(佐那)。今回のドラマのヒロインの一人で、龍馬の許婚だったと伝えられている。
千葉さな子が世に知られるようになったのは、司馬遼太郎の随筆「千葉の灸」による。剣客だった千葉周作の弟・定吉の娘で、色白の美人で剣術も強く、「鬼小町」と呼ばれていたという。
定吉が京橋・桶町に構えていた道場で、坂本龍馬は塾頭を務めていた。さな子は恋心を打ち明けたが、すでに妻おりょうがいた龍馬は遠まわしに断り、着ていた着物の袖を渡して江戸を発ったという。
さな子はその片袖を大切にし、生涯独身だったといわれている。ただ、2人の関係については諸説あり、龍馬が実家に宛てた手紙に
「さな子を好いてることが綴られていた」、「許婚の約束を交わしていた」などの話もある。
明治29年10月、59歳で病死。台東区谷中の墓地に葬られ無縁仏になるところだったが、懇意にしていた自由民権運動家・小田切謙明の妻・豊次が、分骨して小田切家菩提寺の甲府清運寺に埋葬。墓碑には「龍馬室」(室=妻)と刻まれている。
◆千住の灸
そのさな子が移り住み生涯を終えたのが、千住仲町1番地(旧中組993)。国道4号と墨堤通りが交わる角にあり、今は小さな駐車場になっている。
千葉家には家伝の灸があり、維新後、剣術がすたれてからはこの地に根を下ろして、灸治療を生業にしていた。さな子も施術を行い、板垣退助も治療を受けたという。
養子を取り、千葉の灸は次の代へと受け継がれ、戦前までこの場所で開院していた。戦災や区画整理で100mほど離れた千住仲町29番地に移ったが、なんと平成12年に5代目・晃さんの妻まつさんが亡くなるまで続いた。
今は29番地の家も残っていない。
◆「家に槍があった」
さな子が移り住んだ1番地に家があった頃の様子を、覚えている人がいる。墨堤通りから旧日光街道に入ったところにある長谷川金物店のご主人・長谷川浩平さん(74)。 4号の向こうにある千寿小学校に通うのに、毎朝「千葉灸治院」の前を通ったという。「当時は墨堤通りの土手が高かったから、千葉の平屋の屋根瓦が見えた」。
墨堤通りは江戸時代初め、石出掃部介吉胤(いしでかもんのすけよしたね)が水害から守るために作った掃部堤で、以前は高い土手だった。今でも源長寺横の路地には石段があり、高低差が残る。
「石段を降りて玄関の中を見ると、槍が2~3本かけてあった。記憶違いかも知れないが。『槍だ、こわいな』なんて言っていた覚えがある」と長谷川さん。中学時代には、まつさんの長男で1歳上の千葉弘さんと、よく野球をして遊んだという。長谷川家はみんな丈夫で、残念ながら(?)千葉灸の世話になったことはないそうだ。
ドラマでは貫地谷しほりさんが演じる「佐那」。その人生が現代の千住に繋がっていたと思うと、また違った楽しみ方ができるに違いない。
〈参考資料〉「足立史談」24号(丸山宏著「千住仲町二十九番地」)他
写真上=戦前まで仲町1番地にあった千葉灸治院
写真中=看板
写真下=さな子が住んでいた場所、奥は4号線