西新井本町一丁目出身
五感と第六感を研ぎ澄ましラリーに挑む
8月8日、モンゴル・ウランバートル市で「FAコートラリーモンゴリア2010国際クロスカントリーラリー」がスタートする。8日間4000㎞に及ぶ、山岳地帯あり、ゴビ砂漠ありの過酷なラリーだ。それにオートバイで果敢にチャレンジするのは、足立区出身の石原孝仁(いしはらこうじ)。かつてフジTV「なるほど・ザ・ワールド」のディレクターとして、僻地を中心に作品を創り続けた根っからのTVマン。ラリードライバーとしても、80年初頭から90年代にかけて活躍。「パリ・ダカール・ラリー」に、日本人初として出場した「teamACP」のメンバーで、同ラリーには15年間にわたり出場したツワモノだ。番組の看板を背負い、「なるほど・ザ・ワールド号」で出場した際は、「改造車部門で優勝」という快挙を成し遂げ、番組は3週続けて32%という驚異的な視聴率を打ち出した。
92年には、軽自動車で「ユーラシア大陸横断」に成功。98年からはモンゴルラリーに参戦し、ゴビ砂漠の区間賞ゴビマスターを得た。50歳で再びユーラシア大陸を横断し、その記録はBS11開局記念番組として放送された。
これまで4輪車ラリー専門だった石原が、今回初めてオートバイでラリーに挑む理由がまた凄い。
「53歳の今、自分へのチャレンジを忘れていることを感じて、初めてだからこそオートバイでラリーに出たいと思った。高地から気温40度の砂漠まで、あらゆる気象条件の揃う大自然の中、コマ図(ラリー地図)とGPSを頼りに五感を研ぎ澄ませ、時には第六感も駆使しなければならない。地平線の彼方まで続く砂漠の中を走っていると、自分の小ささを嫌というほど思い知らされる。危険だとは判っているけれど、これは僕の人生の集大成ではなくて、あくまでもチャレンジのひとつ」
このラリーのために、石原は中古車をベースにリサイクル部品を多用して、ラリーマシンを作り上げた。その間、何人もの人々が、サポートを申し出てくれたことが何よりもうれしいと顔をほころばせる。西新井大師でお祓いを受けた愛車は、6月末に船積みされ、石原とサポーターの夢を乗せて、ウランバートルへと旅立った。
写真=手作りの愛車を前に夢を語る石原=西新井大師で
五感と第六感を研ぎ澄ましラリーに挑む
8月8日、モンゴル・ウランバートル市で「FAコートラリーモンゴリア2010国際クロスカントリーラリー」がスタートする。8日間4000㎞に及ぶ、山岳地帯あり、ゴビ砂漠ありの過酷なラリーだ。それにオートバイで果敢にチャレンジするのは、足立区出身の石原孝仁(いしはらこうじ)。かつてフジTV「なるほど・ザ・ワールド」のディレクターとして、僻地を中心に作品を創り続けた根っからのTVマン。ラリードライバーとしても、80年初頭から90年代にかけて活躍。「パリ・ダカール・ラリー」に、日本人初として出場した「teamACP」のメンバーで、同ラリーには15年間にわたり出場したツワモノだ。番組の看板を背負い、「なるほど・ザ・ワールド号」で出場した際は、「改造車部門で優勝」という快挙を成し遂げ、番組は3週続けて32%という驚異的な視聴率を打ち出した。
92年には、軽自動車で「ユーラシア大陸横断」に成功。98年からはモンゴルラリーに参戦し、ゴビ砂漠の区間賞ゴビマスターを得た。50歳で再びユーラシア大陸を横断し、その記録はBS11開局記念番組として放送された。
これまで4輪車ラリー専門だった石原が、今回初めてオートバイでラリーに挑む理由がまた凄い。
「53歳の今、自分へのチャレンジを忘れていることを感じて、初めてだからこそオートバイでラリーに出たいと思った。高地から気温40度の砂漠まで、あらゆる気象条件の揃う大自然の中、コマ図(ラリー地図)とGPSを頼りに五感を研ぎ澄ませ、時には第六感も駆使しなければならない。地平線の彼方まで続く砂漠の中を走っていると、自分の小ささを嫌というほど思い知らされる。危険だとは判っているけれど、これは僕の人生の集大成ではなくて、あくまでもチャレンジのひとつ」
このラリーのために、石原は中古車をベースにリサイクル部品を多用して、ラリーマシンを作り上げた。その間、何人もの人々が、サポートを申し出てくれたことが何よりもうれしいと顔をほころばせる。西新井大師でお祓いを受けた愛車は、6月末に船積みされ、石原とサポーターの夢を乗せて、ウランバートルへと旅立った。
写真=手作りの愛車を前に夢を語る石原=西新井大師で