足立朝日

掲載:2008年11月20日号


「花畑記念庭園の紅葉」

平成17年12月撮影


 ここは花畑4―40にある、滝、池、小川、築山などがある地泉回遊式庭園で、広さ2万1688平米。昭和59年9月の開園。3年前付近を散歩中に入園し、鮮やかな紅葉に魅せられてシャッターを切りました。
  このあたりは昔、花又村、後に花畑町という田園地帯でしたが、区画整理中に区制50周年を記念して花畑公園を設け、西半分にこの庭園を造成しました。 (さらに…)
掲載:2008年9月20日号



「祭礼・子どもたちの昼と夜」
 昭和39年9月
  千住4丁目氷川神社祭礼でのスナップ。上は、柴又の寅さんのような人物が風船を売っている場所で、子どもたちが取り囲んで眺めている。近くには「綿菓子」が人気を集め、のんびりとお祭りを楽しんでいた。 (さらに…)
掲載:2008年8月20日号


昭和7年 出典=西新井町写真帖


「荒川放水路の夏」
 夏の荒川、2枚の写真を見ると「昔は良かったなあ」とつくづく懐旧の思いが浮かんできます。上は場所は解りませんが、ボートに乗る人々が夏の一日を楽しんでいる有様が実に羨ましい。この頃は大型船の航行も少なかったので、悠々と舟遊びが出来た。
 下は子どもたちが水泳を楽しんでいる光景。はるか向こうに見える橋の名を知りたくて、昭和初期の地図を参照すると、上流に江北橋、下流に西新井橋が表示されている。私は江北橋ではないかと思うが、ご存知の方のご教示をお待ちする次第です。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
掲載:2008年7月20日号


昭和37年5月


同45年1月
「日比谷線と千代田線」
 千住での賑やかな人々の往来は地下鉄二線の影響が大きい。開通以前は常磐線、都電の猛烈な混雑に悩まされた事を覚えている人は少なくなったと思う。
  日比谷線は写真撮影の時、南千住まで開通して人形町まで東武線の乗り入れが始まり、利用者に大きな利便を齎した。昭和39年8月に中目黒まで全線開通し、東急線との相互乗入れが実現した。
  千代田線は、昭和44年12月に大手町まで開通した
が翌々年に綾瀬間の工事が完成して常磐線との直通運転が開始された。これも沿線の人々にとっては朗報であった。同53年3月には代々木上原間、全線が開通し小田急線と相互乗入れとなった。綾瀬、北綾瀬間の開通は同54年である。
(記事は永年蒐集した交通営団のメトロニュースより取材した)
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
★太田さんの貴重な冊子販売中。申込みは足立朝日へ
掲載:2008年6月20日号

千住新橋付近、上り国道4号線を見る
上=昭和40年10月、中=同63年11月、下=平成14年3月。
 上、昭和40年、撮影の時は国道拡幅の4年前。都電廃止の3年前だった。以前の国道を記録できたのは幸いだったと思う。交通量の増大に伴い、拡幅工事が始まったのは昭和44年で東側が13メートル広げられた。完了したのは同53年である。新橋も上り下りが分離されて便利になった。国道、両側の2階建家屋は次々に撤去されて高層のマンションが続々と建設され、その傾向は現在も続いている。後の2枚はその変貌を記録している。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
★太田さんの冊子販売中。「東京の五十年東部編、都心編・西部編、足立の五十年、東日本の五十年、旧西新井」など。申込みは足立朝日へ。
掲載:2008年5月20日号

開発前の北千住駅西口
上=平成11年1月、下=平成13年4月
 上は駅ビルより駅前通りを写した。右に進むと国道方面です。開発以前の右側建物はすべて撤去され、現在タクシーとバスの待機場となっている。下は開発工事の初期、初めてクレーンが立った日に写す。画面中央は今マルイが入っているビルの正面になっている。再開発工事は約3年前後の平成16年2月に完了した。
  千住の繁栄に大きく貢献したこの再開発事業に尽力された方々と、永年住み慣れた住居から転居を余儀なくされた方々に心から感謝したいと思います。
  先日、フジTVの「孝太郎が行く」の堤防場面に出演したが、対談相手の小泉さん、上地さんとも私が写した昭和30年代の千住写真を見て興味を示されていた。この2枚も将来、千住の歴史に残る記録写真になると思います。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
★【昭和7年併合記念・旧西新井町写真集】太田さんが複製編集した70数年前の旧西新井町付近。昭和初期の貴重な記録。89頁、2千円。申込みは足立朝日へ。
掲載:2008年4月20日号


白旗塚史跡公園 出典=昭和30年足立区史。現状写真は本年3月撮影
 竹ノ塚駅東口より安行、又は草加行きのバスに乗る。4つ目の北寺町で降りて少し戻ると、東武線の手前にこの公園がある。
  昔、源義家が奥州征伐(約千年ほど前)に向う際、此処で白旗をなびかせて勝利を祈ったと伝えられている。昭和の中頃までは、この様な風景が東武電車の窓から見えたことを覚えている。
  昭和62年に史跡公園が開園し、簡素ながらも文化財を保存する環境が整った。ただ北入口にある都史跡白旗塚古墳という説明版が摩減して判読できないのが残念である。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
★「昭和7年併合記念 旧西新井町写真集」発売中!
  76年前の旧西新井町一帯を記録した写真集。当時の風俗、建物、環境などが克明に撮影されている。90頁に約330枚の写真を掲載。2000円。発行=旧西新井町役場、撮影=ムラセ写真館。申込みは足立朝日まで。
掲載:2008年3月20日号


旧西新井町写真集・昭和7年
「足立区の五十年」を千住仲町の旧家の方にお届けした時に見せて戴いた本が、この「大東京併合記念写真集」であった。旧西新井町役場発行、ムラセ写真館撮影、一六八頁の本に二枚ずつ町内の家屋や家族の写真が紹介されていた。
 上=推測すると現在、本木新道のスタンダード前バス停あたりから南を見た風景ではないかと思う。下=この農村風景は本木五丁目208と記されているが、地図を参照すると現在の扇二丁目、三島神社あたりではないかと思う。共に75年ほど前の珍しい写真。
  そのほかに浅草紙製造業とか西新井大師前の商店街などが写されていて、当時の世相を伝えている貴重な資料である。永年保存されていた持ち主に感謝したいと思う。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
掲載:2008年2月20日号

雪の朝 千住散歩 昭和42年2月15日
・左上=D型蒸気機関車。荒川鉄橋を渡る直前
・右=名倉医院近くの旅館。成田屋と堤防の雪
・左下=旧道、絵馬屋付近。雪景色寒さに震えた雪の朝、撮影
散歩の思い出。
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)
掲載:2008年1月20日号


千住中心部俯瞰・昭和36年
  約47年前に撮影された貴重な画像である。中央の白い4階建付近が当時の区役所である。その上の左右に国道4号が通じ、4本煙突への道は今の墨提通り。右上の荒川に架かる橋は西新井橋、左の橋は隅田川に架かる尾竹橋である。その手前の東電4本煙突は、2年後に解体撤去された。右下に見えるのがJR常磐線の線路である。
  当時、私は千住四丁目に住んでいたのでこの辺はあまりよく知りません。説明不足の点はご教示下さい。
※出典=昭和36年発行区政要覧・足立区役所
(文・資料提供=太田畯三さん・日ノ出町26在住)