足立朝日

花畑の山田ジョー武さん 南極観測隊に参加

掲載:2011年12月5日号
 ドラマでも放送中の南極観測隊。昭和31年から続けられている、地球環境の調査には欠かせない国家事業だ。花畑3丁目在住の山田ジョー武さん(38)は、第53次日本南極地域観測隊の一員として、今まさに、観測船しらせで南極に向って航行している。

自分が南極に!?
 職務は設営部門。これまで昭和基地の燃料は重油だったが、価格の上昇により、太陽光利用や風力発電ができる自然エネルギー棟を建設中で、山田さんは仕上げとなる屋根の設置に携わる。
 生まれはハワイ。中学・高校の途中まで日本で過ごし、ハワイの大学を卒業後、日本で数々の建設関係の資格を取得。築炉(焼却炉の建設)、リフォーム会社勤務を経て、今年念願の独立を果たしたばかりだ。
 あえて休業してまで参加するほど、南極に憧れていた――というわけではなく、観測隊参加は降って湧いた話だったという。
 昨年まで務めていたリフォーム会社の社長が、たまたま知人から設営要員として南極に行ける人材探しを頼まれ、山田さんに白羽の矢が立った。「最初は罰ゲームのような感覚で、不安だった。観測隊の名は知っていても、実際にどんな組織で、どんな仕事をしているかも知らなかったので」
雪山訓練で仲間との絆
 不安だらけの中、今年2月に長野の山で、採用前の寒冷地訓練に参加し、意識が変わったという。山田さんが滞在する1~2月の南極は夏だが、気温はマイナス10度~0度(昭和基地)。それに備えての訓練は過酷だ。
 マイナス13度の中、登山しキャンプを張り、レスキューの訓練も行う。途中で何度も「もうダメだ」と思ったこともあったが、「90人の仲間がいて、それなら怖くないだろうと思った。仲間というより、家族同然」。女性や観測隊経験者、様々な職種や立場の人たちがいて、その全員が訓練を通して強い絆で結ばれるのを経験。「これを乗り越えられたという自信がついて、参加を決意した」
 決意の裏には、もう一つ理由がある。東日本大震災だ。3・11の2週間後、岩手の人から山田さんの会社に、壊れた給湯器の付け替えの依頼があった。だが、まだ道路も復旧しておらず、費用面からも行ける状況ではなかった。「何もできなくて、悔しくて……。今回、日本代表として国に貢献できることがうれしい」
 「来年の観測隊にも応募しているんです。今回越冬する仲間を、迎えに行きたくて」。夏隊の帰還時に、前の越冬隊も乗船して帰る。山田さんの90人の仲間たちのうち31人が越冬隊として残り、来年の夏隊と共に帰国することになっている。
南極でスノボをしたい
 冬の訓練後の健康診断、6月の夏の訓練、数々の厳しい面接を経て採用。9月から立川にある国立極地研究所の職員として、物資の調達も全て自分たちで行い、準備を進めてきた。その間、番組の企画でドラマ「南極大陸」主演の木村拓哉さんと香川照之さんが訪れ、全員で記念写真を撮るサプライズもあった。
 11月25日(金)に飛行機で日本を出発。先に物資のコンテナを積んで出発した「しらせ」と、オーストラリアで合流し、1カ月かけて南極に向かう。クリスマス頃到着の予定だが、氷を砕きながら進むため、その厚さによっては年明けになることもあるそうだ。
 現地での生活は、「白夜で一日中作業ができるので、結構忙しい。でも、時間があればスノボをやりたい。楽しみにしているのは景色。星空がきれいだそうなので」。船上でオーロラも見られる。外でパンツ一丁になって写真を撮る恒例の儀式(?)にも、参加意欲満々とか。日本ではできない様々な体験が待っている。
 滞在は2カ月間で、3月下旬に帰国予定。「若い世代にどんどん興味を持ってもらって、行ってみて欲しい。そのためにも伝えていかないと」。帰国後の土産話を楽しみにしたい。

写真上/南極の昭和基地と南極観測船「しらせ」 写真提供=国立極地研究所
下/隊員のユニフォーム姿の山田さん=北千住で出発前日に