足立朝日

古墳時代の祭りの地だった? 花畑遺跡が初の大規模出土 祭祀跡や住居跡を発掘

掲載:2013年6月5日号
 足立区に人が住み始めたのは、古墳時代にまで遡る。それを示すものが、花畑遺跡と伊興遺跡(メモ参照)だ。このほど花畑遺跡のエリアで初めて大規模な遺構が見つかり、3月初め~5月下旬の2カ月半にわたって発掘調査が行われた。


 場所は保木間5-35‐18の約1200㎡の土地。駐車場だったが、マンション建設のため調査したところ発見。埋蔵文化財発掘調査業務を請け負っている大成エンジニアリング株式会社(本社=新宿区)府中事務所が、発掘調査を行った。
 出土した時代は2種類。1つは約1500年前の古墳時代中期、もう1つは約800年前の中世(室町・鎌倉時代)。この2つの複合遺跡だ。
《古墳時代中期の遺跡》
 縄文・弥生時代のものは多いが、関東でこの時代の遺物は出土が少なく、珍しいという。花畑遺跡は断片的な出土はあったが、ここまで大規模なものは初めてだそうだ。
 出土したのは井戸、柱の跡と思われる穴、土器、ガラス玉、剣を模して作った石製模造品などで、勾玉も1つ発見された。調査用の箱で160個、5~6万点にも及ぶ。通常は多くても数十箱というから、膨大な量であることがわかる。
祭祀の中心地
 最大の収穫は、「祭祀の場所」と「竪穴式住居」の発見だ。1m~1・5m四方の穴の中心に、火を使った痕跡の赤い部分があることから、祭祀を行った中心であると推定される。
 また、土器の中には原型を保っているものが多いことから、壊れたら捨てる生活用品ではなく、祭祀用に1回使っただけでまとめて処分したと考えられるという。
 住居跡も集落にしては数が少なく、「祭祀のために一時期使ったものではないか」、と発掘調査を担当した坂上直嗣さん。
 区の学芸員・佐々木彰さんは「大発見。今までよくわからなかった遺跡の中心地と推定され、区史を考える上でも重要だと思う。伊興との類似性などを比較していきたい」と話す。
《中世の遺跡と洪水の跡》
 溝や土構などのほか、珍しい井戸の底付近の木枠が見つかった。木などの有機物は、酸性の日本の土の中では腐って分解されてしまうが、低地は水によって中性になるため残るそうだ。
 この2つの時代の他に、ガラスやプラスチックなどを含む層もあり、後年に洪水があったことがうかがえるという。
《調査終了》
 調査が終了した現在は、遺跡は埋め戻され、マンション工事の準備が進められている。
 大成エンジニアリングで遺物の洗浄と修復をした後、報告書をまとめる。今回見つかった遺跡の全貌がわかるのは、1年半以上先になるとのこと。
 発掘物が足立区に返却された後の、展示等については未定。1500年もの時を経て現在に現われた品々。そこから当時の人々の生活を思い描ける日を、心待ちにしたい。
【メモ=伊興遺跡】縄文時代終わり頃(約4000年前)の土器や、古墳時代初期(約1600年前)
のものが出土。伊興遺跡公園(TEL3898・9111)に展示されている。
(写真は、大成エンジニアリング提供) 


写真上/発掘調査の様子
中/出土した土器と勾玉
下/祭祀に使用後の土器を、まとめて捨てたと思われる場所