谷中4丁目の住宅街にある「上谷中稲荷神社」。公園が併設されていて、休日には子どもたちの元気な声も聞こえる神社だ。
祭神は宇迦之御魂命。かつて谷中新田と呼ばれていた時代に北の端にあり、南に広がる村を守る鎮守だった。その後、南北が分離されると「上谷中」と呼ばれるようになり、この神社も通称「上谷中さま」と呼ばれ親しまれてきた。
小さな村であったため、祭りは神輿も無く、神職を招いて神事を行うだけである。かつて参道は、本殿のある北に向かって南から一直線であったが、土地区画整理があり、参道は東から入るL字型に変わってしまった。
鳥居は「紀元二千六百年記念」として昭和15年(1940)に建立。「紀元二千六百年記念」といえば、中国との戦争が拡大していく中で、アメリカやイギリスとの対立が深刻化したことから始められた国威の発揚を図る国家的行事。その国策が上谷中町まで浸透し、人々がそれに共鳴していることをうかがわせるモニュメントである。
また、境内には日露戦役之碑があり、そこには上谷中から出征した6人の名が刻まれている。当時20戸ほどの村で、男は50人程度しかおらず、6人となれば全体の1割に相当。いかに多くの若者が戦争の犠牲になったのかが分かる碑だ。
その他、稲荷神社ということで4対の神狐が参道に並んでいる。格好や表情の違う狐様を、じっくり観察してみては?
【交通】「北綾瀬駅」から徒歩約5分
写真上/環七通りの開通など区画整理によって姿を変えた神社
下/溶岩の台の上に逆立ちしている神狐

小さな村であったため、祭りは神輿も無く、神職を招いて神事を行うだけである。かつて参道は、本殿のある北に向かって南から一直線であったが、土地区画整理があり、参道は東から入るL字型に変わってしまった。
鳥居は「紀元二千六百年記念」として昭和15年(1940)に建立。「紀元二千六百年記念」といえば、中国との戦争が拡大していく中で、アメリカやイギリスとの対立が深刻化したことから始められた国威の発揚を図る国家的行事。その国策が上谷中町まで浸透し、人々がそれに共鳴していることをうかがわせるモニュメントである。

その他、稲荷神社ということで4対の神狐が参道に並んでいる。格好や表情の違う狐様を、じっくり観察してみては?
【交通】「北綾瀬駅」から徒歩約5分
写真上/環七通りの開通など区画整理によって姿を変えた神社
下/溶岩の台の上に逆立ちしている神狐