足立朝日

葛飾北斎「冨岳三十六景」3枚の千住浮世絵の地に 顕彰碑

掲載:2016年4月5日号
 「芭蕉+北斎」でゴー! 葛飾北斎が千住を表題にした浮世絵の名作を3点も描いていたことに注目したNPO団体が、描かれたと思われる場所3カ所に、このほど区の助成金で顕彰碑を設置した。絵はいずれも富士山を配したもので、富士とともに生きた足立の往時がしのばれる。
 足立区、千住と言えば、「奥の細道」の旅で千住大橋そばに舟にて上陸し、旧日光街道を歩いた江戸時代の俳聖・松尾芭蕉が有名だが、実はあの葛飾北斎が、有名な浮世絵集「冨獄三十六景」の中で、千住を表材にした浮世絵の名作を3点も描いていることは意外と知られていない。
 その一つは、現在の墨堤通り沿いを疾走する早馬を描き、松の木の先に赤冨士が見える「隅田川関屋の里」、二つ目は南千住側の日光街道から新吉原の遊郭を描いたもので、遊郭の先に冨士が見える「従千住花街眺望ノ不二」。三つ目は墨堤通り沿いにあった元宿圦という水門と編かごを乗せた荷馬を描き、水門の間から冨士がのぞく「武州千住」。
 この事実に注目したのが千住の文化を発掘し、その良さを発信する活動をしているNPO法人「千住文化普及会」(檪原文夫理事長)。檪原さん(68)は「なぜ、千住宿が富士見の景勝地として選ばれたのか?」と疑問を持ち、そのナゾの解明に乗り出しつつ、「郷土の誇り」として多くの区民、とりわけ次代を担う子どもたちに伝えようと、製作地と想定される3カ所の近くに顕彰碑を建てようと思い立った。
 その場所は、一つ目が、千住仲町公園内で、墨堤通りに近い場所に設置。二つ目は、千住橋戸町大橋公園内。ここは芭蕉旅立ちの地としても有名で、「おくのほそ道矢立初の碑」などがあるスポット。顕彰碑は、国道4号線に近い場所に建てられた。三つ目は、桜木町1‐15‐3、帝京科学大学交差点付近のかなり目立つ場所。
 碑の製作は、平成24年度の「足立ブランド」認定企業「㈲カシマウェルディング」(千住緑町)に依頼した。
 同社の溶接技術は素晴らしく、茨木堅社長と長男の真平さんは2人3脚でステンレスを切り張りしながら完成させた。茨木社長は「郷土の宝になるような物を作らせてもらって感激しています」と語った。
【メモ】葛飾北斎/宝暦10年(1760年)9月23日、江戸本所割下水(今の墨田区亀沢)に貧しい百姓の子として生まれた。19歳の時に浮世絵師・勝川春章に入門、その後3点の役者錦絵を発表し、若くして頭角を現す。代表作に「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」がある。90歳で没するまで、次々と作風、分野を変え、進取の試みに挑んだ。

写真上から①/3月19日(土)、近藤区長、高山区議会議長を迎え、千住仲町公園で行われた除幕式。右端が檪原理事長
②/千住橋戸町大橋公園内。右上奥に見えるのが、芭蕉の「矢立て初めの碑」
③/桜木町1丁目の帝京科学大学交差点付近
④/「カシマウェルディング」の茨木堅社長と真平さん=千住仲町公園で


「冨岳三十六景 隅田川関屋の里」


「同 従千住花街眺望ノ不二」


「同 武州千住」