興野2丁目の民家と民家の間の細い道を抜けた先に「御嶽神社」がある。駐車場と民家に囲まれ、木造の鳥居と社のみの小さい神社だ。
祭神は国常立命。元々は興野2-20-5にある「善応寺」の管理する神社であったが、詳しい創建や由緒については不明。文政5年(1822)の文書には前述のことが記されているため、創建はそれ以前ということになる。
社には「三嶽神社」と書かれた社号額が掛けられている。もともと三嶽神社と表記されていた神社が御嶽神社になった場所が日本各地にあるため、ここもそうではないかと推測される。
現在は神社の周りに新しい集合住宅などが建ち並んでしまっているが、昔は田んぼや野原で神社の場所もすぐに分かったはずだろう。時代とともに変化して、探さなければ見つけられないようになってしまったのは少し寂しい気もするが、神社が存在し続けるかぎり信仰も途絶えないと思いたい。
ここの神社へ参拝に訪れたい方は、住所付近まで来たら、高い鉄塔を目印に行くと見つけやすいかもしれない。
【交通】日暮里・舎人ライナー「江北駅」から徒歩約8分
写真上/周りを住宅などに囲まれた小さな神社
下/三嶽神社と書かれた社号額
祭神は国常立命。元々は興野2-20-5にある「善応寺」の管理する神社であったが、詳しい創建や由緒については不明。文政5年(1822)の文書には前述のことが記されているため、創建はそれ以前ということになる。
社には「三嶽神社」と書かれた社号額が掛けられている。もともと三嶽神社と表記されていた神社が御嶽神社になった場所が日本各地にあるため、ここもそうではないかと推測される。
現在は神社の周りに新しい集合住宅などが建ち並んでしまっているが、昔は田んぼや野原で神社の場所もすぐに分かったはずだろう。時代とともに変化して、探さなければ見つけられないようになってしまったのは少し寂しい気もするが、神社が存在し続けるかぎり信仰も途絶えないと思いたい。
ここの神社へ参拝に訪れたい方は、住所付近まで来たら、高い鉄塔を目印に行くと見つけやすいかもしれない。
【交通】日暮里・舎人ライナー「江北駅」から徒歩約8分
写真上/周りを住宅などに囲まれた小さな神社
下/三嶽神社と書かれた社号額