都市農業公園へ向かうバス通り(通称、環七北通り)沿いに小高い塚状になっている「押部八幡神社」がある。神社の近くにはスーパーや大型の花屋、病院などがあり、地域と密接した場所にあるため、参拝客も多い。
祭神は 譽田別尊で、寛延元年(1748)に横田源右衛門政信という人物の発案で、勧請したと伝えられている。
同社には、明治41年(1908)に鯨を生け捕りにした珍しい絵馬が残されている。その絵馬には「明治41年3月28日の午前7時ごろ、吉田勘治郎が船で下流に漕いでいたら、千住大橋の上流の深瀬に水を吹き上げながら鯨が現れた。人を飲み込もうとする程に大口を開ける鯨に驚き、竹棹で格闘の末に生け捕りに成功。千住大橋際に引き揚げられた鯨は長さ1丈9身6尺。各新聞社も駆けつけ、5日間人々に見せた後に佃浜へと贈った」といった内容が記されており、歴史を感じさせる貴重な絵馬だ。この絵馬は8月下旬に行われる祭礼日の際に社殿の扉が開かれるので、その時に見ることができる。
その他にも境内には、イチョウやケヤキなどの保存樹のほか、社殿の左隣には小さな浅間社の祠が建っている。
【交通】日暮里・舎人ライナー「西新井大師西駅」から徒歩約5分
写真上/社殿は関東大震災で倒壊したため昭和5年(1930)に改築された
下/浅間社の祠
祭神は 譽田別尊で、寛延元年(1748)に横田源右衛門政信という人物の発案で、勧請したと伝えられている。
同社には、明治41年(1908)に鯨を生け捕りにした珍しい絵馬が残されている。その絵馬には「明治41年3月28日の午前7時ごろ、吉田勘治郎が船で下流に漕いでいたら、千住大橋の上流の深瀬に水を吹き上げながら鯨が現れた。人を飲み込もうとする程に大口を開ける鯨に驚き、竹棹で格闘の末に生け捕りに成功。千住大橋際に引き揚げられた鯨は長さ1丈9身6尺。各新聞社も駆けつけ、5日間人々に見せた後に佃浜へと贈った」といった内容が記されており、歴史を感じさせる貴重な絵馬だ。この絵馬は8月下旬に行われる祭礼日の際に社殿の扉が開かれるので、その時に見ることができる。
その他にも境内には、イチョウやケヤキなどの保存樹のほか、社殿の左隣には小さな浅間社の祠が建っている。
【交通】日暮里・舎人ライナー「西新井大師西駅」から徒歩約5分
写真上/社殿は関東大震災で倒壊したため昭和5年(1930)に改築された
下/浅間社の祠