足立朝日

「千住の俳諧は 芭蕉を先頭に始まった」  足立郷土博物館学芸員が講演

掲載:2017年8月5日号
 「芭蕉翁顕彰の集い」の第3回が7月9日(日)、綾瀬プルミエで開かれ、足立郷土博物館学芸員の多田文夫氏(54)が講演した。主催は5月24日(水)に発足した「千住芭蕉翁顕彰会」(実行委員長・飯島弘千住鷗外碑保存会会長)、足立史談会(堀川和夫会長)。
 学びピアにひっそりと置かれている松尾芭蕉陶像を「旅立ちの地千住」の象徴として旧街道沿いに設置しようという活動の一環だ。
 講演会には、柴原保佳氏(本紙「あだち俳壇」選者)ら会発起人、飯島委員長ほか実行委員ら区民約50人が参加した。
 この日のテーマは「足立の江戸文化を貫く俳諧の素養」。多田氏は、始めに「句碑に見る芭蕉への追慕」として、西新井大師の境内にある「父母の しきりにこひ
し 雉の聲」(江戸元禄元年・1688年吟)が最古の芭蕉句碑であること、同6年(1693年)吟の「春も漸けしきととのふ 月と梅」が梅の名所として知られた千住本氷川神社に建立されていることなどを挙げた後、「連歌」と「俳諧」「俳句」の関係を解説。
 千住の有名な俳諧師&絵師・建部巣兆も入る俳句の会「千住連」に戯作者ら19人が名を連ねていたこと、巣兆が江戸琳派の祖である絵師・酒井抱一、谷文晁一門と交流していたことなどから「江戸と足立の文化的な一体性が表れている」と解説。
 さらに、「千住の俳諧が芭蕉を先頭に立てて始まった」ことを、千住八幡神社に建つ「千住芭蕉翁碑」の建立時に詠まれた句から分析。
 後半は、明治から昭和にかけて下谷生まれの其角堂永機という俳諧師らが千住地域で活動したことを語った。
 多田氏は、講演のまとめとして「千住・足立の社会は、俳諧文化の受容と再生を繰り返した」と断定。具体的には足立では①時代ごとに俳句のキーマンが登場している②江戸・東京の俳諧の動向と密接に関連している③俳諧単独ではなく、他の文芸、とりわけ絵画と連動している――などを列挙、足立区こそ俳聖・芭蕉が残した歴史、足跡を再評価する「資格」があることを印象付けた。
 「第4回芭蕉翁顕彰の集い」は未定。

写真/「千住の俳諧が芭蕉を先頭に立てて始まった」ことを力説する多田氏=綾瀬プルミエで