足立朝日

あだち俳壇・柴原保佳氏が講演 第2回「芭蕉翁顕彰の集い」

掲載:2017年5月5日号
 「芭蕉翁顕彰の集い」の第2回が4月22日(土)、千寿本町小学校多目的ホールで開かれ、あだち俳壇選者の柴原保佳氏(84)が講演した。主催は「千住の芭蕉翁顕彰する会」準備会、足立史談会(堀川和夫会長)、千住文化普及会(櫟原文夫理事長)。
 千住は江戸時代の俳人・松尾芭蕉の「おくのほそ道」旅立ちの地として有名だが、芭蕉の故郷・伊賀上野(三重県)で作られ、同市の俳聖殿(国の重要文化財)に納められている芭蕉座像と同じものが区内にあることは、ほとんど知られていない。
 学びピアにひっそりと置かれている現状を嘆いた史談会や千文会のメンバーらが、「旅立ちの地千住」の象徴として座像を安置する建物の設置などを呼び掛けるべく、2月に「顕彰する会」準備会を結成(3月5日号既報)。講演はその活動の一環。
 柴原氏は千住旭町に生まれ、千四小(現・千寿常東小)6年の時に長野県善光寺に疎開、戦後、高浜虚子に師事した。家業「はせきよ商店」の傍ら、虚子が主宰した俳誌ホトトギス同人に参加、公益法人日本伝統俳句協会理事を務めている。
 「俳句生活70年」と題して、俳人だった父との思い出、虚子や短歌の重鎮、土屋文明の教えなどを語り、「俳句は少し面白いところがないといけない。面白がらせようとするのではなく、その人の人格から滲み出るもの」と難しさと奥深さを強調。また、北千住と南千住がそれぞれ主張している芭蕉旅立ちの地について、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の「鳥啼き」が千住にあった将軍のための「鳥屋敷」、「泪」が南千住の「泪橋」にかけてあり、「芭蕉はうまく作ったと思う」と持論を述べた。
 あたたかい包容力ある語り口で、学童疎開の苦労や米軍による機銃掃射の体験にも触れ、「絶対に戦争をさせないという強い気持ちをもってもらいたい」と呼びかけた。
 この日の参加者は70人強。中高年に混じって柴原氏の母校、足立学園高校文芸部の生徒2人の姿もあった。浅川匠弥くん(3年)は「疎開先の話が聞けて良かった」、河本怜也くん(2年)は「戦争の話も、俳句や芭蕉の話も興味深かった」と印象に残ったようだった。
 次回は7月9日(日)午後1時から綾瀬プルミエで、多田文夫氏(学芸員)を招いて「千住・足立の江戸文化と俳諧」を開催予定。問合せはTEL3620・9393郷土博物館内・足立史談会まで。

写真/俳句の面白さや疎開の苦労を語った柴原氏