足立朝日

芭蕉陶像を千住のシンボルに! 史談会を中心に運動がスタート

掲載:2017年3月5日号
 「俳聖」と呼ばれ、足立区とは切っても切れない江戸時代の俳人・松尾芭蕉。その芭蕉の生まれ故郷・伊賀上野(三重県)で生誕300年を記念して作られた2体の陶像のうちの1体が千住新橋そばの生涯学習センター(学びピア21)1階に置かれていることから、「これをもっと目立つ所に置いて、千住のシンボルにしよう!」とアピールする「千住の芭蕉翁を顕彰する会」の準備会が、このほど結成された。
 結成の場は、2月4日(土)、千寿本町小学校で開かれた「千住の誇り・芭蕉陶像を語る」と題する講演会。「足立史談会」(堀川和夫会長)が主催したもので、約65人が参加。
 この講演会の講師は、当初、史談会の顧問で「芭蕉と千住宿」などの著書のある安藤義雄氏が務めるはずだったが、諸事で堀川和夫氏が代わりに努めた。
 この芭蕉陶像は、三重県出身の政治家が私財を投じ、昭和17年(1942年)に伊賀焼で470㎏の重さがある正・副の2体を製作。陶像の「正」は、伊賀上野市が同市の公園に「俳聖殿」を建立し、その中に鎮座させた。
 問題の「副」は、色々な経緯を経て足立区に寄付され、平成21年(2009年)に今の地に「ひっそりと」置かれたまま。
 そこで昨今の俳句ブーム。「奥の細道」で最初に上陸し、出発した地・千住を訪れる全国の人も多い。現在、芭蕉ゆかりのものとして区には、千住大橋公園に「矢立初めの碑」と奥の細道行程表、近くの足立市場の正門横に芭蕉の石像、また旧道の千住宿歴史プチテラス入口に「鮎の子のしら魚送る別れかな」の句碑があるくらい。
 「これでは余りに寂しい」と立ち上がったのが安藤氏や足立区史談会の面々。芭蕉と「奥の細道」は、「足立区が誇るべき素晴らしい遺産」「足立の宝であり誇り」として、千住の然るべき土地に「俳聖堂」(仮称)を造り、そこに陶像を安置して、千住を訪れる内外の人に見てもらいたい、と熱望。
 4日の講演会では、芭蕉の研究家で千住文化普及会の櫟原文夫代表も参加、他県や他区の例を出して、足立区民の奮起を呼びかけた。
 史談会では、その候補地として千住4丁目の「ほんちょう公園」、芸術センター前の広場などを挙げていて、その場所が決まれば「足立まちづくりトラスト」を申請し、区民の寄付金と合わせ「俳聖堂」を建設したいとしている。

写真上/生涯学習センター1階にひっそりと置かれている陶像
中/会場は熱心な区民が参加した=千寿本町小学校で
下/伊賀上野にある俳聖殿