錆びたトタンは美しい
赤茶けたトタン屋根に灰色の格子柄の外壁、そこに備え付けられた赤色のポストにベージュのガスメーター……。昔はすべてがこのような木造家屋で埋め尽くされていた千住の路地裏。
ミニチュア作家の秋山利明さんは、今は綾瀬に住むが、生まれと育ちは荒川土手にほど近い千住大川町。1952年(昭和27年)に、いろは通りの大工道具の店「秋山刃物店」の6人兄弟の末っ子として生まれ、当時の千寿第3小、第3中に通った。
「その頃の土手は昆虫や魚など生き物の宝庫。どこまでも続く路地裏は格好の遊び場で、街全体を走り回って遊びました。天国でしたネ」
水道橋にある都立工芸高校デザイン科に通った秋山さんは、その後、ネクタイのデザイン等のグラフィックや、パッケージ、クラフト等のデザインの仕事を10数年続ける。
秋山さんを、本物のミニチュア作りにのめり込ませた恩人は、東大正門前に今もある喫茶店「ルオー」の店主、山下さんだった。秋山さんが高校生の頃から通った老舗、赤門前の「画廊喫茶ルオー」が閉店し、その店で働いていた山下さんが名前を継ぎ、正門前に同名の店を開いたのが40年前。
その際、秋山さんが店の木彫看板、入り口にメニューケースを制作したが、そのケースの一部を空けて遊べるスペースにしてくれ、そこに様々なミニチュア情景を自由に作らせてもらった。
ジャックと豆の木、南極の砕氷船、綱渡りの少年、伏見稲荷の千本鳥居、ソーラーで動く自転車を漕ぐ人、ガリバー旅行記、石段の上の五重の塔、谷中の民家……。
秋山さんは、昨年11月に、千住宿場町通りにあるお休み処「千住街の駅」で、千住の街並みをモデルにしたミニチュアを飾った。「路地裏はまだ健在ですが、無くなるのは時間の問題。これは残しておかねばいけない、残すのは私の役目のような気がしたんです」と秋山さん。「千住ならではの路地裏と錆びたトタンは美しい」――。
秋山さん、インタビューの最後に「次に作るのは、あの歌川広重が描いた浮世絵の千住大橋でしょうか」とポツリ。「三つ子の魂百まで」を地で行く秋山さんの「旅」は続く。
赤茶けたトタン屋根に灰色の格子柄の外壁、そこに備え付けられた赤色のポストにベージュのガスメーター……。昔はすべてがこのような木造家屋で埋め尽くされていた千住の路地裏。
ミニチュア作家の秋山利明さんは、今は綾瀬に住むが、生まれと育ちは荒川土手にほど近い千住大川町。1952年(昭和27年)に、いろは通りの大工道具の店「秋山刃物店」の6人兄弟の末っ子として生まれ、当時の千寿第3小、第3中に通った。
「その頃の土手は昆虫や魚など生き物の宝庫。どこまでも続く路地裏は格好の遊び場で、街全体を走り回って遊びました。天国でしたネ」
水道橋にある都立工芸高校デザイン科に通った秋山さんは、その後、ネクタイのデザイン等のグラフィックや、パッケージ、クラフト等のデザインの仕事を10数年続ける。
秋山さんを、本物のミニチュア作りにのめり込ませた恩人は、東大正門前に今もある喫茶店「ルオー」の店主、山下さんだった。秋山さんが高校生の頃から通った老舗、赤門前の「画廊喫茶ルオー」が閉店し、その店で働いていた山下さんが名前を継ぎ、正門前に同名の店を開いたのが40年前。
その際、秋山さんが店の木彫看板、入り口にメニューケースを制作したが、そのケースの一部を空けて遊べるスペースにしてくれ、そこに様々なミニチュア情景を自由に作らせてもらった。
ジャックと豆の木、南極の砕氷船、綱渡りの少年、伏見稲荷の千本鳥居、ソーラーで動く自転車を漕ぐ人、ガリバー旅行記、石段の上の五重の塔、谷中の民家……。
秋山さんは、昨年11月に、千住宿場町通りにあるお休み処「千住街の駅」で、千住の街並みをモデルにしたミニチュアを飾った。「路地裏はまだ健在ですが、無くなるのは時間の問題。これは残しておかねばいけない、残すのは私の役目のような気がしたんです」と秋山さん。「千住ならではの路地裏と錆びたトタンは美しい」――。
秋山さん、インタビューの最後に「次に作るのは、あの歌川広重が描いた浮世絵の千住大橋でしょうか」とポツリ。「三つ子の魂百まで」を地で行く秋山さんの「旅」は続く。