足立朝日

平成30年度東京マイスター認定 東京本染ゆかた製造元 旭染工株式会社 代表 阿部 晴吉 さん(72) 花畑2丁目在住

掲載:2019年4月5日号
若者に伝統技術を継承

 「父の背中を見て、自然とこの道に入ることを選んだ」と話すのは、綾瀬川沿いの花畑2丁目で東京本染ゆかた・手ぬぐいを製造する旭染工㈱の阿部晴吉社長。この道約50年の大ベテランだ。
 新潟県十日町の農家に生まれた父・晴司さんは、農家にとって何もできない雪の時期を利用して、神田の染め物工場に出稼ぎに出てきていた。それがきっかけで、浴衣や手ぬぐいが最盛期の昭和30年(1955)に、もともと染め物工場だった現在の場所に会社を設立。昭和32年(1957)の大鷲神社の例大祭では、約1000~2000反もの浴衣・手ぬぐいの注文が入るなど順調そのものだった。
 阿部社長も墨田区の都立向島工業高校(現・都立橘高校)を卒業して、すぐに父の下で働き出した。「現在に至るまで、この業界は時代の影響をすごく受けましたね」と話す。
 浴衣の場合は、昔は祭りで着なくなれば寝間着になり、その後はオムツに利用され、最後は雑巾として擦り切れるほど使われた。しかし、今はパジャマもモップもある。さらに、染めの浴衣は値段が高く、渋い落ち着いた色合いが特徴だが、昭和50~60年代に安価なプリント浴衣が出てくると、カラフルでオシャレだと購入する人たちが増えてきた。手ぬぐいも、以前は会社などでタダで人にあげていたものが、今は一人ひとりが購入する時代なので、染めの精度が求められるようになった。
 なかなか浴衣が売れなくなり、染め物工場も次々と閉鎖。現在、関東には6社ほどしか残っていないという。
 そんな中で阿部社長は、時代の流れに逆らわずにメインを浴衣から手ぬぐいに切り替えた。そして技術を磨き続け、平成28年には東京都功労者表彰を、昨年末に平成30年度東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞を受賞した。
 会社も世代交代しつつ、現在平均年齢30歳の約20人が働いている。その中には、自分と同じように父の背中を見てこの業界に入った息子の晴徳さん(41)もいる。「この先も時代の流れに逆らわず、臨機応変に対応しながら、若者たちに伝統技術を継承していきたい」と話す。
【メモ】旭染工㈱=花畑2-14-6、TEL3883・0014。手ぬぐいはネット注文できる。