『想い』を持って作る食材を大切にしたい
血の通った食材を求めて三千里――。話を聞いてそんな行動をする女性だと思った。5年前に、あるイベントで取材し、フェイスブックで交流した。ずっと見ていると「この女性は何をしようとしているのかな?」。あちこち旅をして、その時の写真や感想をつづってきた。「うん?」。何か迷ったりしていることが多く、それがある時、「確信」に変わって行くのがよくわかった。
荒川区東日暮里生まれ。区立小・中学校を出て、都立高校へ通い、立教大学のコミュニティ福祉学部へ。ベトナム、カンボジアにも行き、貧しい子どもたちとも交流。この時にもう「何か深く社会と関わることがしたい」と思っていたのだろう。
社員食堂や病院、ホテルなどへ食事を作りアウトソーシングする大きな会社に入って現場仕事からマネージメントまでをこなして7年。色々なことを学んだが、「何か違和感を感じて」辞めた。5年前に実家を離れ、今の北綾瀬に家を買った。シェアハウスして生計の足しにし、「食探し、自分探しの旅に出た」。岡山県西粟倉村で養殖鰻「森のうなぎ」に出会い、北海道・厚真町でジンギスカン、宮城県・亘理町でアセロラやイチヂク、秋田県・三種町、山形県・天童市、福島県・国見町、奈良、鳥取と歩いた。
最初の西粟倉村で村人と深くかかわる中で、自分探しの一つの「確信」を持った。「それまでは、どこか一番気に入った所に移住して、そこで生活しよう、と思っていましたが、みんなに『まるちゃんは移住せん方がいいよ。東京を拠点にして、地方の点をつないでほしい』と言われたんです」。ここで心が決まった。
北綾瀬の「mogmogはうす」を拠点に「食材発掘人」として地方を訪ね、地元では月1回程度の「食べる会」、料理教室の講師、企業などのレシピ作りもこなす――丸山さんには「夢を夢にしない」強さがあるとみた。
写真/写真は、岡山県西粟倉村のゲストハウスで。右端が丸山さん
血の通った食材を求めて三千里――。話を聞いてそんな行動をする女性だと思った。5年前に、あるイベントで取材し、フェイスブックで交流した。ずっと見ていると「この女性は何をしようとしているのかな?」。あちこち旅をして、その時の写真や感想をつづってきた。「うん?」。何か迷ったりしていることが多く、それがある時、「確信」に変わって行くのがよくわかった。
荒川区東日暮里生まれ。区立小・中学校を出て、都立高校へ通い、立教大学のコミュニティ福祉学部へ。ベトナム、カンボジアにも行き、貧しい子どもたちとも交流。この時にもう「何か深く社会と関わることがしたい」と思っていたのだろう。
社員食堂や病院、ホテルなどへ食事を作りアウトソーシングする大きな会社に入って現場仕事からマネージメントまでをこなして7年。色々なことを学んだが、「何か違和感を感じて」辞めた。5年前に実家を離れ、今の北綾瀬に家を買った。シェアハウスして生計の足しにし、「食探し、自分探しの旅に出た」。岡山県西粟倉村で養殖鰻「森のうなぎ」に出会い、北海道・厚真町でジンギスカン、宮城県・亘理町でアセロラやイチヂク、秋田県・三種町、山形県・天童市、福島県・国見町、奈良、鳥取と歩いた。
最初の西粟倉村で村人と深くかかわる中で、自分探しの一つの「確信」を持った。「それまでは、どこか一番気に入った所に移住して、そこで生活しよう、と思っていましたが、みんなに『まるちゃんは移住せん方がいいよ。東京を拠点にして、地方の点をつないでほしい』と言われたんです」。ここで心が決まった。
北綾瀬の「mogmogはうす」を拠点に「食材発掘人」として地方を訪ね、地元では月1回程度の「食べる会」、料理教室の講師、企業などのレシピ作りもこなす――丸山さんには「夢を夢にしない」強さがあるとみた。
写真/写真は、岡山県西粟倉村のゲストハウスで。右端が丸山さん