柳原2-38-1
氏子=柳原1・2丁目
通称=柳原稲荷神社

ご祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。創建は不詳だが社伝では、1606年(慶長11年)徳川家康公が当地を訪れ、楊柳が繁って青々としている様子を見て皇朝の鬼門鎮守として比叡山延暦寺を建立したのに擬して、江戸城の鬼門除けとして創建させたと伝えられる。そのため、現在も社殿は東北(鬼門)の方角を向いている。1786年(天明6年)洪水で流失したが、1794年(寛政6年)再建された。

境内社に高木・日枝神社(高皇産霊神、大山咋神、東照権現)、足立区登録有形民俗文化財の浅間神社・富士塚(木花咲夜比売命)が築かれている。江戸期より伝わる柳原箕輪囃子は足立区登録無形文化財。
また、戦没者慰霊碑(昭和27年建立)は柳原より出征して戦没された人の氏名・階級が記され、毎年6月15日には現在も慰霊祭が行われている。境内にはご神木の大銀杏など区保存樹に指定された木が数本ある。
毎月1日・15日が月次祭、お宮参りや地鎮祭、ご祈祷も行っている。
TEL3888・3050神尾恭三宮司
※日本人はお宮参り、七五三、受験など事あるごとに神社にお参りしてきた。本来、初詣も自分が住んでいる氏神様に最初にお参りするものという。足立区の東京都神社庁に登録されている神社数は86社。自分の氏神様はどこか問合せが神社庁にも増えているそうだ。氏神様紹介は都神社庁発行の掲載名簿順に順次掲載予定。
次回は千住仲町・氷川神社
氏子=柳原1・2丁目
通称=柳原稲荷神社

ご祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。創建は不詳だが社伝では、1606年(慶長11年)徳川家康公が当地を訪れ、楊柳が繁って青々としている様子を見て皇朝の鬼門鎮守として比叡山延暦寺を建立したのに擬して、江戸城の鬼門除けとして創建させたと伝えられる。そのため、現在も社殿は東北(鬼門)の方角を向いている。1786年(天明6年)洪水で流失したが、1794年(寛政6年)再建された。


境内社に高木・日枝神社(高皇産霊神、大山咋神、東照権現)、足立区登録有形民俗文化財の浅間神社・富士塚(木花咲夜比売命)が築かれている。江戸期より伝わる柳原箕輪囃子は足立区登録無形文化財。
また、戦没者慰霊碑(昭和27年建立)は柳原より出征して戦没された人の氏名・階級が記され、毎年6月15日には現在も慰霊祭が行われている。境内にはご神木の大銀杏など区保存樹に指定された木が数本ある。
毎月1日・15日が月次祭、お宮参りや地鎮祭、ご祈祷も行っている。
TEL3888・3050神尾恭三宮司
※日本人はお宮参り、七五三、受験など事あるごとに神社にお参りしてきた。本来、初詣も自分が住んでいる氏神様に最初にお参りするものという。足立区の東京都神社庁に登録されている神社数は86社。自分の氏神様はどこか問合せが神社庁にも増えているそうだ。氏神様紹介は都神社庁発行の掲載名簿順に順次掲載予定。
次回は千住仲町・氷川神社