足立朝日

Vol.55-野鴨 石田えり

掲載:2007年6月5日号
 「輝かしい命を持った13歳の少女が、自らの手でその命を絶った。誰もがその事件の当事者である」
 このショッキングなコンセプトを基に、この11月1艘の船が1カ月間の航海に出る。船名は「野鴨」。海は「シアター1010ミニシアター」。そして、目的地は「人間の心の深淵」。蜷川幸雄演出の「身毒丸」「グリークス」を大ヒットさせたあの名プロデューサー・笹部博司が、ある日、精神科医であるタニノクロウ(庭劇団・ペニノ)演出の小さな舞台を観たことから、抑えようのない心の高ぶりを経験。自ら上演台本を手掛けた「野鴨」(原作=ヘンリック・イプセン)の演出をタニノに任せ、イプセンの世界を彷徨わせたいとひらめいた。
人間の心の深淵を覗く航海
 「ギーナ」という登場人物がいる。自ら命を絶つ少女の母親である。空を飛ぶ翼(夢見る力)を、現実という銃弾で打ち砕かれてしまった人たち。それがいわば野鴨である。それでも人生は続く。そしてその野鴨の一人であるギーナは、たくさんのマイナスを抱えながら、輝きに満ちている。火の車に乗った女が、一番涼しげで、堂々としている。その時、石田えりという俳優がふっと浮かんだと笹部は言う。笹部が俳優に望むのはただひとつ、「役を演じるのではなく、そこに生きている人間として存在させてほしい」。それを受けた石田は言う。
 「今どき、こんなに真剣に熱く語れるプロデューサーが存在するということにビックリ! 今の日本は、採算優先か趣味の域を出ない芝居がほとんどで、純粋に演劇を体験できる舞台は少ないと思う。『野鴨』という素材の良さと、笹部さんが探し出した演出家・タニノさんという逸材に興味を持った。このチャンスと、自分の俳優としてのタイミングが奇跡のように出会ったという感じがする。演劇とは本来もっと可能性のあるもの。『ちゃんとした芝居をやっても大丈夫なんだ』という実績を示すことで第2、第3の笹部さんが登場すれば演劇界はもっと面白いものになるはず。文化のレベルが高い国は、社会が成熟していて人々がより穏やかな上、情熱的でコミュニケーションがもっと直接的で自由な気がする」
 石田はこの秋に公開される映画「サッド ヴァケイション」(青山真治監督)で、全てを包み込みながら美しく生きる「ゆるぎない女」を演じる。公開前のスクリーンの中の石田をみつめた笹部は、「野鴨」台本の手直しを実施。「石田えり」という俳優と、「笹部博司」というプロデューサーが、お互いに感化し始めている。少女を追い詰めていったものは何か? 「野鴨」に登場する一人ひとりをタニノがどのように分析し、人間の心の深淵を覗く航海を続けるのか? 11月1日(木)~30日(金)、シアター1010ミニシアター、前売=9月1日~4600円。当日5000円。チケット℡5244・1011。